三奉行備後守家 織田信秀の家臣団

織田信定の家臣団継承者。

尾張国守護斯波家家臣。尾張守護代清州城大和守家三奉行のひとつ。津島勝幡城織田家。三河安祥織田家、那古屋織田家、末盛織田家創設者。

※織田信長の父。織田弾正忠。

⇔↓織田信秀 (1510~1551*1552)oda.nobuhide・弾正忠・備後守。斯波義統家臣。今川(那古屋)氏豊にも出仕。織田信定の息。1527年家督相続。清洲大和守家、三奉行のひとり。1532年主・織田達勝と抗争。1535年古渡城主。末盛城を新拠点とする。1539年管領家・細川晴元、三好長慶に鷹を献上。1540年(1532or1538年とも)今川氏豊を追放。1540年三河国安祥城を一時(1548年まで)勢力下に置く。1542年土岐頼芸を擁立し美濃に入国。1544年土岐頼武を擁立し越前朝倉家とともに美濃攻め。1545年美濃国大垣(大柿)城を1547年まで維持。

<信長様の父上です。主の今川氏豊から那古屋城を奪取。今川と手切れ、美濃土岐氏を後援。><尼僧・慶光院清順の勧めで伊勢神宮に遷宮費用を出資。>

⇔▽林 秀貞 (*)hayashi.hidesada・(河野・稲葉)・佐渡守・通勝。通安の息。織田信秀の家老。弟に美作守・通具。

<槍林と呼ばれた通政は養子で、光時は実子とも。二人とも別人なのでしょうか。>

⇔↑▽織田信長 (1534~1582)oda.nobunaga・上総介。織田信秀の息。1540年頃(1532or1538年とも)父・信秀は尾張今川氏の拠点・那古野城を今川氏豊(今川氏親の息)から奪取し信長を城主とする。息に信忠、信雄、信孝など。庶子に(村井)信正、乙殿(埴原長久?)など。

<1553年の斯波義銀の保護から、「桶狭間」後の1561年までは、信長の奉じる斯波家が尾張の国主だったのでは。その権威の下に尾張の諸豪はしたがっていたのでは。><今川義元が治部大輔を名乗る前の、今川家伝統の「上総介」を名乗ることで、東海道の覇者に取って替わる事を示したのでは。><尼僧・慶光院周養の勧めで伊勢神宮遷宮に出資。>

2016年10月03日