- 序
- 口頭伝承を纏め文字化することが、いかに難しいか。
本州の場合だと、稗田阿礼、太安万侶の形にしたもの。
『古事記』の基となる口頭伝承を記憶していた阿礼の記憶力と、それを文章に記録した安麻呂の声音からの漢字文字への変換記録能力、
編纂に関わった2人の共同作業で、
安万侶が、どれだけ理解して、真実を反映できたたのか、
それに加えて、我々後世の読者(先人の学者の方々)の読解力が、どれだけ、二人が残したかったものの真に迫れているかを
推し図りながら、日本神話『古事記』も理解するべきでしょう。
民族のアイデンティティ、北の人々の口頭伝承も・・・。
- <ラックル (「倭人伝」の裸国(らこく?)の神々の系譜> ‐列島神話の比較‐
- <天空の神 三神>
カントコロカムイ (生没年*)天を司る神。天空神。<まさに天の中心><天ノ御中主神に相当するか。やはり天の中心に位置する北極星を示す神なのでは。当時の信仰は北極星か、太陽か、どちらに重きを置いたものだったのでしょう。>
シランパカムイ (*)シリコロカムイ。大地を支える神。大地全ての神。地球神。<大地の木の神というよりは、天に対して、生まれた地球ということでしょう。><『古事記』の高木神、タカミムスビに相当する神様でしょう。御柱というのは地球そのものを意味しているものだったのか、とアイヌ神話で逆にヒントが得られました。>
パンセカムイ (*)神々の中心の真の神。<カミムスビに相当する神でしょうか。やはり3神が存在する形が原型では・・。><現代のような男女2神の形があたりまえとなるのは、16・17世紀の西洋の宗教の影響があるのでは・・・・。>
- ≪個人的感想≫
- ユーカラはそれぞれの地域で特色があり、並列してあるもので、縦軸として並べることはできないと言われていますが、果たしてそうでしょうか。
私としては英雄譚を、時系列で捉える試みをためしたいです。
- 物語の断片で、すこしでも血縁関係のヒントがみられるなら、それを組み合わせて、太ノ安万侶のように、「時系列」を組み立てる作業をするべきではないでしょうか。
精霊の評価にしても、今の定説が、最初に物語った人の真意を理解したものなのか、いろいろな物語を、地域や、時間性を検証して検討すべきなのでは・・。とも思います。
もとの話手の伝承者が、先祖の精神レベルまで到達していなければ、個人的な曲解が入って、伝承の真実はねじ曲がってしまうのではないでしょうか、
それは、「古事記」・「日本書紀」を読む、我々にしても同じ。自分の知識力・理解力・精神を高めていかなければ、真実には到達しないと思います。
- アイヌの伝承に際しては、
大きくは道西のスムンクルの立場なのか、道北・道東メナシクルの立場なのか・・、伝えている地域の人々出自など背景も視野に入れて、理解する必要があると思えます。
(挿図予定) ←北海道は言語的にも東西に分けられる
1974 浅井亨 「方言の分類 アイヌ語諸方言のクラスター分析」『北方文化研究』第8号北海道大学 より引用改変。
人がどこからきたのか推し量るDNA検査に関しても、どこの地域(道西・道東)の出身で、その人のどこまでの先祖が辿れるのか、
北海道内、さらに樺太、千島アイヌも含めた、出身地域も考慮してデータを得なければ、
道東・道北(樺太アイヌ?)出身のデータばかりで、偏った結果しか得られないと思います(アイヌ自体、本当に単一民族といえるのでしょうか。元寇のときに、北で元軍と戦争したアイヌはどこの方々だったのか・・。)
それに、もし源ノ義経一行の子孫がいれば、2世、3世の子孫はアイヌを名乗っていたでしょうか。
道南部の「渡党」の人々は、アイヌとの混血ながら、和人(義経、安倍・清原・安東)の血にも誇りをもって生きたのでは?
悲しいかな戦時中、一か所の[収容所]に集められて東西の婚姻関係が結ばれていたなら、
遺伝的に東も西もわからなくなるかもですが・・。
また、研究者の方も採取人数とともに「サンプルをどの地域の、どんな先祖血縁関係の人から、採取したものだ」ということまで開示しなければ、
何十人のサンプルを集めて、縄文人とアイヌは人種が違うといっても、
「小集団の移動・変遷の歴史を深くえぐらず、今の数値上の表面データだけをみているのでは?」と思う今日この頃です・・。
いろいろ複雑な問題もありますが、私個人の妄想ということで、時系列を造りあげてみたいと思います。
- <五色雲神> 『古事記』の神様も降臨するときは五伴を従えています。
- 青雲 (*)シウニン ニシクル・siwnin。海神。
黄雲 (*)シケリペ ニシクル・sikeripe。土神。
赤雲 (*)フレ ニシクル・hure。金銀・玉神。
白雲 (*)レタラ ニシクル・retar。植物神。
黒雲 (*)クンネ ニシクル・kunne。日・月の2神。
その他
灰雲 (*)ルクンネ ニシクル・rukunne。灰
≪個人的感想≫
アイヌの巫者が行う幽体離脱的な予言の儀式をシノチという。大和の中心地がシキと呼ばれていた事や、始祖神話の類似から根底には同じものがあるような気がします。「古事記」と同様に語り継ぐ際に、子供に色や草花の名前、穀物や動物など日常に必要な基本的なことを教えて行く作業が開闢神話には含まれている気がします。海外向けの「帝記」となる以前は、子供向け昔話のていだったのでは。
- <天の神> (後方羊蹄山 シリベシヨウテイザン)
ペケレチュプ (以下略)ヘケレチュッフ。日の神。天上神。雌岳(女神)から昇天する。<天照神に相当するような神か。イレシュサポという太陽神が後に生まれるので、日食により新たな太陽が生まれるということなのでしょうか。>
クンネチュプ ()クンネチュッフ。月の神。天上神。雄岳(男神)から昇天する。<月読神に相当するか。>
- <神島創造の神> カムイモシリ
- コタンカラカムイ ()カンナカムイの兄。天上神。創造神。神の集まる島(カムイモシリ)を造る。島を造り、天上神の中から島を守る神を決める。<手が回らなくなって、他の神を派遣するなど、強力な指導者ぶりです。><天地の神と、梟がいたというのは、コタンカラカムイとコタンコロカムイが口頭の伝聞の中でごちゃ混ぜになったのでは。>
▽イコリカムイ ()降臨神、アブタ付近の巨岩の神。<岩に対する信仰も、当時からあったのでは。><内浦湾のアルトリ岬などもイコリ岬と呼ばれていたようです。><岩場の神クトロンカムイと同一神か。>
▽アフラサンペ ()コミミズクの精霊。イコリカムイの与力。
▽オキウキリ ()セキレイの精霊。イコリカムイの与力。
<冥界の神> ポクチモシリ
キラウシコロカムイ ()職務怠慢により天ノ神に天空から突き落とされる。ポクチモシリ(地獄の火口)。シカの角を生やしている半獣の神。<姿は「せんとくん」みたいですね・・。><鹿を集めて追い込んで谷底に落とす狩猟をやってたようなので、それが神話化されたのかもしれませんね。>
- <大地創造の神・降臨神>
- カンナカムイ ()シカンナカムイ・ポンカンナカムイ。降臨神。男神。雷神、兼、竜神。兄にコタンカラカムイ。室にチキサニ。大地を固め(アイヌモシリ)を造る。息に「アイヌラックル(モシリッカラカムイ)」。娘にアエオイナカムイ。<イザナギに相当するような神か。><雷神であり建ミカヅチのような性質も持つか。><竜神でもあり、洞爺湖のホウヤカムイとも繋がりがありそうです。><ポンからポイにつながりそうです。>
- チキサニ ()チキサニカムイ。降臨神。女神。炎神。ハルニレ姫の意味。コタンカラカムイの娘。夫にカンナカムイ。大地の木の神。カンナカムイに見初められる。出産の後に焼け尽きる。息に「アイヌラックル」。娘にイラッカラカムイ、アエオイナカムイ。<イザナミに相当するような神か。><火の神に従うものとしてチキサニカムイとラルマニカムイ(アトニ・ポイヤウンペの室)。火の神の系譜にあるということでしょうか。>
- <火の神> <チサキニに関連する一族か>
- アペウチエカシ ()アペフチカムイ・イレスカムイ。男神。火の神。室にアペウチフシ。<エカシ=長老。古事記にいう翁という感じでしょうか。><モシリカラカムイや、トーカラカムイと共に大地を造る創造神とも。>アペウチフシ カムイフチ・アベフッチ。女神。火の神。<炎に関係する、チキサニとの関連が気になります。>
▽カムイフツチ ()火の神。<カグツチと連動するような名です。><チキサニカムイ、ラルマニカムイ(アトニ)は火の一族のようです。>
▽トーカラカムイ ()湖神。アペカムイ(火神)や、モシリカラカムイと大地を創造する。
≪個人的感想≫
火の神を拝める気持ちは、『古事記』のホデリとか、ホホテミとか天ノ火明、天ノ火照、古代列島人に通じるものがあると思います。火を尊重するのは古代人の共通意識だったのでは。
- <地上に降臨した神「アイヌラックル」> アイヌモシリ
- モシリッカラカムイ ()モシリカラカムイ。降臨神。大地創造の神。東の男神。東渡島を創造する。手稲山に住む。石狩アイヌの信仰の対象。息に「アイヌラックル」。神の姿に似せた人を造る。<初代の「アイヌラックル」(神の名を冠する王の尊称)で、息子は二代目の「アイヌラックル」という意味か。葦原中津国の「大国主」も継承者は17代続くようですし、王が何代か続くのでしょう。>
イカッカラカムイ ()イカカラカムイ。降臨神。植物の神。花の創造神。西の女神。西渡島を創造する。息に「アイヌラックル」。神の姿に似せた人を造る。<日本海側の海岸が切り立った地形なのはアエオエナカムイとの長話が原因だったという。おもしろい伝説。>
▽アエオイナカムイ ()西の女神の妹神。創造の邪魔をしてしまう。弟神に「アイヌラックル」。日高地方のアイヌの信仰の対象。<アイヌラックルは彼女の一族で、以降はすべて弟の様な近い存在だという意味でしょうか。><カンナカムイの妹(または娘)が悪戯が過ぎてフキに変えられる伝説あり。フキの下の人々、コロボックルに関連する女神として重要な神かもしれませんね。>
▽コロコニ ()コルコニ・ルウェキナ。女神。カンナカムイの妹。悪戯が過ぎてフキノトウに変身させられた。
▽クナウ クナウノンノ。霧の神。女神。カンナカムイの末娘。ホイヌとの結婚に逆らい死ぬ。チライアパッパ(福寿草)の精霊。
▽ホイヌ ()男神。地下の神。テンまたはモグラの神。クナウとの縁談が進むが、クナウに拒否される。
- <地上に降臨した神「アイヌラックル」> アイヌモシリ
- ↓パコロカムイ ()パスクルカムイ。鳥の神。病気神。海を渡り災厄を持ってくる。寿命の神。「アイヌラックル」の父(育ての親か)。ホヤウカムイに敗北する。<神に寿命を与え、人間とする。古事記にもある話と似ています。アイヌラックルの父と言われるのもわかるような重要な役割を持っている気がします。イレシュサポと対となる神様なのではないでしょうか。><「歳神」とよばれるのは、毎年現れる渡り鳥を現しているのでは。><大陸の病気が入ってくるのは藤原四兄弟が死んだ7世紀頃といわれています。本来は死に対して、魂を連れて行く鳥の神だったものが、あまりに死者がでて葬式ばかりで、パコロカムイへの怖れから、忌み嫌われる病気神となってしまったのではないでしょうか。><縄文時代の鳥の土偶とか、のちに洞窟に描かれた鳥人など、パコロカムイを現していたのかもしれませんね。><最初は「アイヌラックル」と呼ばれるような神だったのでは。『古事記』でいうなら神鳥・八咫烏や、倭建命の白鳥伝説クラスかも。>
- ▽イレシュサポ ()トカチュプカムイ。太陽神。女神。「アイヌラックル」の姉神。母チキサニの早世により養育係。「アイヌラックル」の乳母的役割。アラエンカムイに襲われる。<天照的な役割を持つ神のようです。太陽で植物が育つから、英雄の養育の神となったのでしょうか。><生命の神であるのに対して、死の神パコロカムイが対になるのでは・・。>
- ≪個人的感想≫
北海道日本海側の洞窟壁画の「鳥の装いをした人」の姿は、まさにパコロカムイ・・。
死生観を表す壁画でしょうか。
続縄文時代に、これら「神話は確立されていた」
と言うことができるのでは。
▽レエプカムイ ()ミンタウカムイ・セタカムイ・ミンタルウシ。犬神。モシリッカラカムイと共に降臨。里にて山から降臨する神を迎える。<犬は人間の友達だったのでしょう。>
▽コタンコロカムイ ()イソサンケ・クンネレク・コタンコル・コタンカラ。梟神。智慧の神。夜の森を監視する。<森の異変を知らせてくれる重要な鳥だったのでしょう。><コタンカラカムイと名が似るので注意。><降臨神・地上神>
- シニシコロカムイ ()降臨神。真天の神。「アイヌラックル」の兄とも。弟にポンウネカムイ。<パコロカムイの息で「アイヌラックル」とは義兄の関係にあるのでしょうか。>
オイナカムイ ()イアオイナカムイ・「アイヌラックル」。地上神。男神。室にレタッチリ。大鹿、ウエソヨマと抗争。息にポイヤウンペ。<スサノオ的な感じか。人間にとって基本的に祭祀の中心となるのは、人間の王の祖である、この方なのでしょうか。><ヤイウネクル、ワリウネクルは部民か。>
- レタッチリ ()地上神・白鳥神。女神。夫にアイヌラックル。ウエソマヨに拉致される。息にポイヤウンペ。<渡り鳥のように何かの到来を告げる役割を持つ神なのでしょう。>
<土着神>
オオシカ ()オオシカカムイ。大鹿神。土着の神。人間を襲う。アイヌラックルに討たれる。<シカの名前の源流は、トナカイと同じくアイヌ語でしょうか。>
- ウエソヨマ ()女神。降臨したアイヌラックルと抗争。<「八股のオロチ」的な感じか。>
- コタネチク ()コタネアシタ。ウエソヨマと同盟。アイヌラックルと抗争。<『古事記』の手長、足長のようなペア。>
- モレシチク ()モシロアシタ。ウエソヨマと同盟。アイヌラックルと抗争。<アシタと「アシナ」は同義か・・。>
- アラエンカムイ ()悪魔神。イレシュサポ(トカチュプカムイ)を襲う。<キラウシコロカムイを口の中にいれられたのか・・。>
≪個人的感想≫ 東西勢力分裂以前の神話は、『古事記』の創造神・天ノ御中主からイザナギ・イザナミまで、天照登場以前のものに通じるような気がします。
そこから在地的な英雄神が育って、独自のものとなっていったのではないでしょうか。源流は列島にいた古代人達が持つ古い神話から来ているのでは。
- <アブタの大地神「アイヌラックル」>
- <アブタの範囲は現在の市町村の境界のようなものでなく石狩に及ぶ広範なのでは。阿倍比羅夫が後方羊蹄山の麓に国衛を設置するのというのも、道内の中心的な位置にあるものという意識があるのでは。
- 長老の祈りにイコリカムイ(岩神)、レブンケカムイ(レブンクルの神?)、ウェンシリカムイ(天塩の山の神)の3神が現れたとも、勢力範囲の神か。>
ポイヤウンペ ()ポイシヌタウカウンクル・ヤイラブ・ヤイエラブ・「ユカラカムイ・アイヌラックル」。英雄神。「アイヌラックル」の息。母はレタッチリ。アブタ出身。石狩のトミサンペ(昆紗別)に拠点。コンカニヤマ(黄金山)、カニチセ(金の家)館主。洞爺のホヤウカムイに敗北する。娘婿にオニクルミ。チュプカの死後、ポイヤウンペの跡職はオニクルミが継承する。息にチュプカ。<スサノオもしくは、大国主のような感じか。><何代目かのアイヌラックルということでしょう。><ポイシヌタプウンクルは部民の意か。子孫・一門・血縁・連枝衆ということか。>
アトニ ()ラルマニカムイ。イチイの木の精霊。女神。「カンナカムイ・アイヌラックル(ポイヤウンペ)」の妻。<何代目かのアイヌラックルの妻ということでしょう。ポイヤウンペの妻となるのはアブタのイコリカムイの妹らしいのですが。アトニはイコリの妹ということか。>
▽チュプカ ()英雄神。チュプカウンクルを東方に建てる。北方のレブンクル(北の民)により討たれる。<石狩以東の海岸勢力か。レブンクルと直接的な抗争にあたる立地の勢力のようです。>
<ホヤウクル> <洞爺湖周辺のクルか>
- ホヤウカムイ(竜神)とイケエウセクル(山の神)、アペフチカムイが親しい間柄のようです。同盟関係か。
ホヤウカムイ ()ラプシオヤウ・ラプシヌプルクル・オヤイカムイ。竜神。洞爺湖の神。侵入したポイヤウンペを石狩に追う。ポイヤウンペと親しい滝の神を攻める。<刺国八十神的な感じか。><竜神といえば、カンナカムイの直系とも考えられそうですが・・。><ホヤウカムイの一族・子孫としてのラプシヌプルクルか。>
イケエウセクル 有珠山の神。
- <アブタの土地神>
- イコリカムイ ()岩神。アブタのポイヤウンペと同盟。妹婿にポイヤウンペ。甥チュプカの戦死後、レブンクルとポイヤウンペを仲裁し和解させる。
- <サルンクル>(西方の民)
- オキクルミ ()西の英雄神。ポイヤウンペの娘婿。尊称「アイヌラックル」を継承。道南から日高地方の神。兄弟神にサマイクル。ホヤウカムイ・ラプシヌプルクルを討伐する。息に小オキクルミ。<ポイヤウンペの子孫ということか。東西融合によりサムイクルの弟・オクチルミと混同されるか。もしくは東西同盟の為に、兄弟の契を交わすか。>
カイポク ()オキクルミの室。<ポイヤウンペの娘婿がオキクルミなので、彼女の父はポイヤウンペか。>
↓▽ケムシリ ()ケムシリカムイ。山の神。日高地方の山奥、ケムシリ岳の長老神。オキクルミと同盟する。ホウヤカムイ系のラプシヌプルクルと抗争。<ヌプリカムイなど山それぞれに、山の神がいたのでしょう。>
▽ペンシランケクル ()オキクルミと同盟する。<第三勢力。東方のメナシクル系か。それとも石狩系か。ひょっとしたら、オキクルミの率いる民ということで、ペンシランケクルという集団だったかもしれませんね。>
▼小オキクルミ ()ボノオキクルミ・ワリウネクル。西の英雄神。オキクルミの息。
- サキソマエップ ()老蛇神。日高地方の山奥の神。ホヤウカムイの一族。<日高地方の神々もひとつではない、というか、静内と門別でずっと争ってたんでしょうか。>
- <メナシクル>(東方の民)サマイクル自身の出身地も樺太という話もあります。請われてこちらに移住し王家を継いだとも。
- サマイクル ()サマイエクル・サマユンクル。東の英雄神。兄弟神にオキクルミ。ヌプリカムイに加勢し、神居古潭にニッカネムイを討つ。<スクナヒコナ、もしくは大物主的な感じか。><本来はサマイエカムイで、部民がサマユンクルという意味か。>
イシカリウンマツ ()石狩姫。女神。サマイクルの室。<オニクルミの娘か。><東方と西方の勢力が婚姻を結び同盟を締結したということか。>
▽オクチルミ ()オキキリムイ。兄にサマイクル。<東西融合によりオキクルミと混同されるか。もしくは東西同盟の為に、兄弟の契をかわすか。>
- ▽シュプランカ ()サマイクル、オクチクルミの従兄弟。<友好的な第三勢力がいた、ということか。>
↑ヌプリカムイ ()山の神。土着神。ニッカネムイと抗争。サマイクルと同盟しニッカネムイを破る。<ケムシリと同じく、山それぞれの山の神がいたのでしょう。><東の勢力からみれば、ヌプリカムイ=オニクルミだったかもしれませんね。>
ニッネカムイ ()ニチネ・ニチエネカムイ。悪神・魔神。神居古潭の悪神。ヌプリカムイと抗争。ヌプリに加勢した英雄サマイクルに討たれる。<石狩川上流に勢力を持つか。東方と西方の勢力に挟撃されて滅ぶということか。>
≪個人的感想≫ 樺太から移住してきたということは、石刃鏃文化や、時代が降れば、オホーツク文化とかになるんでしょうけど、
全道制覇を東釧路Ⅲの頃にもってくるならば、東西英雄神の時代設定は、石刃鏃文化の7000年前頃という感じでしょうか。
もっと時代が新しいなら、本州東北部まで進出した続縄文時代の後北式の頃でしょうか。
それ以降の、
関東の豪族、荒川別など、後世の一国守護代的な豪族の敬称に「別(ワケ)」が付く時期。何か特別なものを感じずにはいられません。
- <東西の英雄>
- オタスツンクル ()オタシトンクル・オタシュトゥンクル。英雄神。砂原の神。西方の水の神を討ち、老夫婦を救う。道東の屈斜路湖で怪物を倒す。<東西融和後の英雄神か。砂原が地名なのか、内浦湾の英雄か。><サマイクルの息子ということになるか。オタシで「小樽」と関連ありとも言われているので、道東にも出没する点、全道を統一した英雄と考えられなくもないです。><室は宗谷の娘のようです。><年代的に考察するとすれば・・、北海道で最初に全道的に土器の形が揃い統一的となるのは、縄文時代早期の東釧路Ⅲ式からⅣ式にかけての頃ということでしょうか。全道統一の英雄がいたと仮定すれば約6500年程前の縄文時代早期末葉といった頃でしょうか・・。>
- <東方の島の神> <更に沖の向こうの神か。>
- カモモシリカムイ ()造島神。妹にマネチカムイ。<東に連なる島々を造った神のようです。>
マネチカムイ ()女神神。兄にカモモシリカムイ。<オホーツクの女神でしょうか。>
- <その他の神々、精霊>
- アフンラサンペ ()冥界神。怪物。
アシペプヨ ()海神。怪物。
パコロカムイ ()バロコカムイ。寿命の神。アイヌラックルの父とも。
キムウンカムイ ()山の神・熊神。<擦文時代から重視される神。続縄文時代、さらには縄文晩期まで「クマ送り」は遡ることができるのではないのでしょうか・・。オホーツク文化から持ち込まれたと位置付けられる信仰ではないと思います。>
レラカムイ ()風の神。
ウパシアツテカムイ ()雪の神。
ルヤンペアツテカムイ ()雨の神。
タシコロアツテカムイ ()冬の寒さの神。
ヌサコロカムイ ()祭壇の神。蛇神。
ケレプノエ ()毒の神。
ホルケウカムイ ()ユクコイキ・ホウケウ・オオセ・ウォセカムイ。狼の神。
レブンカムイ ()レプウン。シャチの神。沖の海神。<海の民、オホーツク文化の影響で持ち込まれた神でしょう。>
≪個人的感想≫ クル=国もしくは、邑、人民、「○○部」、集落共同体、「○○衆」もしくは名誉代表の尊称と解して神話を見てみました。
- 人々(クル)の神々ということで。カムイは神、民衆の英雄への畏怖や、祟りへの恐れで、人から神へと変わっていく存在なのでしょう。
人から神となった、菅原道真や、平ノ将門のような感じ。「恨み」を買う程おそろしいものはありませんから。
基本的に、各神話は和人がでてくる前の話なのでは、
それに脚色がついて、その時代風(松前藩支配下時代のもの)へと変化したようにも、思えます。
北辺だけの、どことの関連もない、神話なのでしょうか・・・。
もし列島の神話の源流であったとしたら・・、語り継がれてきたものは、遥か遥か昔、
モンゴロイド移動期の[太古の神話]なのではないでしょうか。
←現在の北方少数民族の分布。トナカイを追いかけて樺太に渡った民族もいるそうです。
「トナカイ」起源はアイヌ語。北海道にトナカイは渡ってきていたのでしょうか・・。
そして、エゾシカはニホンジカとトナカイのハーフなのでは?
7世紀 大和朝廷・阿倍比羅夫の北征、「粛慎」の討伐。粛慎とは?どの民族か、
渡島半島に到着してからの比羅夫船団のルートは、北海道日本海沿岸コースか、太平洋沿岸コースのどちらだったことでしょうか。
『記紀』に記された通り、能登半島の豪族を始め、日本海側の有力者が比羅夫に従い蝦夷地入りしたと推測されます。
「白村江の海戦」に参加する安曇比羅夫は、太平洋船団の頭なのか・・。
比羅夫の置いた蝦夷の国府はいったい何処なのか、謎が謎を呼びます。
能登半島や、十三湊など日本海側の比羅夫に従う海の民が、蝦夷島に大挙移動してきていたことでしょう。
本州東北部には北から ・津軽蝦夷(都加留) ・麁蝦夷(あらえみし) ・熟蝦夷(にきえみし) の3部族あり。
本州との関わりが増して行きます。
→ 拠点の築城時期については、縄張り形態の類似性から、順序を割り振ってみました。出土遺物との関係を検証していないので、あくまで目安として列挙しています(随時変更の可能性ありH28.9.01)。
安藤系の拠点については、↓以下に検証して行きます。
- 渡島守護職相当。安藤氏、蝦夷島代官の下国氏
- (挿図予定)←十三湊安藤氏の拠点・福島城、防御線の推定図。
以下に列記します蝦夷地(渡島半島)の茂別・勝山・松前大館の安藤氏拠点とは、城館の配置に通じる法則があると思いますので、推定図を作成しました。自然災害や津波対策の一面もある、要害地形を上手く利用した「鎌倉・室町安藤流台地城郭」群といったところでしょうか。
(台地城郭の特徴)
・後背を山で塞ぎ、大軍を阻止。山の両側は深い谷。
・全面は段丘地形を利用し、海・港からの大軍を阻止。
・三角形の台地上に三拠点(館)を配置(おそらく中央館から、両サイドの館へ後詰する機能)、館のつく地名となって残る場合多し。
・三角形の台地の両側には河川があり、自然に堀の機能。
以上の視点で、蝦夷地の四大拠点も見てください。蝦夷地ではチャシを再利用する場合や、本州では高地性防御集落を利用する場合があるようです。
- 15世紀コシャマインの蜂起 1457年
- コシャマイン (*~1457)胡奢魔犬・コサマイヌ。1456年小林良景の拠る志濃里館にて製鉄の取引に絡みアイヌが殺害される。胆振から後方のアイヌが蜂起。道南12館を10館落とす。小林良景、河野政通を討つ。函館七飯浜にて下国安藤家政配下の武田信広に息子とともに謀殺される。
- ←下国安藤氏の蝦夷経営の拠点、茂別館とその周辺の防御線想定図(総構え的な自然要害の立地)。二本の大河に挟まれた一帯を城地に選択し、自然地形の川と谷、急峻な山・崖を利用する。前面は海と断崖、後背は大軍を拒む山。台地両端の防御施設が中央と連携して敵を防ぎ、中央の居館は正に矢降らず(矢不来)。津波をも防ぎ、戦になれば周辺の和人を収容できる広大な台地の一角が選ばれたと台地城と推測されます。
- タケナシ (*~1457)コシャマインの副将。別働隊を率いて花沢館を襲撃するも、計略により全滅。<東の首領がコシャマインで、西の首領がタナケシだったのでしょうか。以後の瀬田内アイヌの首領の名が「タ」系です。> ←下国安藤氏の蝦夷経営の拠点、勝山館とその周辺の防御線想定図。二本の大河に挟まれた一帯を城地に選択し、自然地形の川と谷、急峻な山・崖を利用する。畑作を台地上で行い、水の手もあり、和人のコロニーとして機能していたのではないでしょうか。十三湊の唐川城の様に古来の防御性集落を取り込んでの館なのではないでしょうか。
- ≪個人的感想≫ 日本海側と、太平洋側の共同の軍事蜂起だったのでは。 俘囚長の安藤氏がのちに、チコモタイン、ハシタイン、蠣崎と三守護代を設置するようになるまでは、上ノ国守護代(松前大館)と、下ノ国守護代(茂別大館)体制だったのでは・・。 花沢館の規模からして、「乱」の当時、不落だったのではなく、最初からスルーされていたのでは。蠣崎(武田)家は、アイヌの力を利用して、戦国大名のように、上司の「守護代」達を次々と倒し、「下剋上」で成り上がっていったものだと考えられます。
- 16世紀
ショヤ・コウジ兄弟の蜂起 1515年
- ショヤ (*~1515)庶野。渡島半島東部のアイヌ集団の首領。1496年宇須岸館(河野季通)、志濃里(小林良定)、与倉前館(小林季景)を討つ。続いて下国安藤氏(安藤家政)の拠点、茂別館を落とす。1513年松前大館の相原季胤、村上政義を討つ。和人の館主をほぼ掃討したところで、松前大館にて蠣崎光広により謀殺される。弟にコウジ。
- ←下国安藤氏の蝦夷経営の拠点、勝山館とその周辺の防御線想定図。二本の大河に挟まれた一帯を城地に選択し、自然地形の川と谷、急峻な山・崖を利用する。前面に平坦地が広くある点が、清原氏の金沢柵に通じる構造です。<以上、安藤氏の四拠点は、見て頂いた通り、要所の位置に共通項目があり、築城の法則性があります。清原→藤原→安藤に連なる築城術があったのでは。>
- コウジ (*~1515)コウシ。渡島半島東部のアイヌ集団の代表。1513年松前大館の相原季胤、村上政義を討つ。和人の館主をほぼ掃討したところで、松前大館にて蠣崎光広により謀殺される。兄にショヤ。
- ≪個人的感想≫ もしコシャマインの一門ならば、「○○イン」のインが省略された蔑称なのかもしれませんし、ショヤインや、コウジインと呼ばれていた方々だったかもしれませんよね。 勝者の松前側の残した歴史書が、どれほどの事実を記したものだったのでしょうか。勝者の歴史観で都合よく捻じ曲げられているかもしれませんよね。
- タナサカシの蜂起 1529年
- タナサカシ (*~1529)タナケシ・多那嶮。瀬田内アイヌの首領。西部の首長。1525年頃から抗争。工藤祐兼、祐致兄弟を討つ。上ノ国勝山館に蠣崎氏を攻囲。蠣崎義広により謀殺される。娘婿にタリコナ。<タケナシの子孫か。>
- タリコナの蜂起 1536年
- タリコナ (*~1536)タナサカシの娘婿。瀬田内アイヌの首領。西部の首長。蠣崎義広により謀殺される。
- ハシタイヌの協定 1551年
- チコモタイン(*)知内のアイヌの首領。東部の首長。1550年安藤舜季の来島に応え交易の協定を結ぶ。蠣崎季広と境界を確定。「東夷尹」に定まる。
- ハシタイン (*)瀬田内アイヌの首領。西部の首長。1550年安藤舜季の来島に応え交易の協定を結ぶ。蠣崎季広と境界を確定。「西夷尹」に定まる。上ノ国に居住。
- 17世紀
- (挿図予定)←シャクシャイン関連図(破線=スムンクルとメナシクル各集団の同盟関係) 2002 『蝦夷地のころ』北海道開拓記念館より引用改変≪個人的感想≫ クルの神々の伝説は、いったい何処の集団の神だったのかも見極めなければなりません。 オホーツク文化の「女神」は仏教伝来の「偶像仏」とは関連はないのか? 海の神「シャチ」は、海洋民の信仰の対象だったのでは。 山の神「クマ」への信仰は、本来は続縄文、擦文の文化をもった人々からの影響だったのではないのか。 先入観を排して、もう一度、見直すべきだと思います。
瀬田内ヘナウケの蜂起 1643年
- ヘナウケ (*)辺那宇毛・免奈宇計・ヘンノウケ。瀬田内アイヌの首領。西部の首長。松前藩の佐藤、新井田、厚谷、南条等と抗争。蠣崎利広により討伐される。
- 門別オニビシの蜂起 1648年
- オニビシ (*~1668)鬼菱。門別アイヌの首領。シュムルクルの首長。メナシクルの首領センタイン、カモクタイン親子と抗争。1655年松前城下にてシャクシャインと和睦。シブチャリの首領・シャクシャインにより討たれる
- ウタフ (*~1668)ウトウ。沙流の首領。オニビシの姉婿。松前藩との交渉の帰途、支笏に向かう途中で死亡する
- チクナシ (*)オニビシの跡職を相続。オニビシの甥。松前藩に武器譲渡の交渉に赴くが却下される
- ハロウ (*)チクナシの従兄弟。新冠の首領。松前藩に武器譲渡の交渉に赴くが却下される。
- ▽金掘万三郎 (*)金鉱掘り。ハエクル方。<和人が金脈を求めて活発に出入りしていた様子>
- ▽金掘覚右衛門 (*)金鉱掘り。ハエクル方。ハロウを匿う。
- ▽金山文四郎 (*)金鉱掘り。ハエクル方。シャクシャインとの和平交渉にあたる。
- センタイン (*~1648)メナシクルの首長。シュムルクルの首長・オニビシと対立。息にカモクタイン。
- カモクタイン (*~1563)センタインの息。メナシクル。補佐役にシャクシャイン。シュムルクルの首長・オニビシと抗争。跡職はシャクシャインが継承。
- 静内シャクシャインの蜂起 1669年
- シャクシャイン (*~1669)センタイン親子の家老。静内アイヌの首領。メナシクルの首長。カモクタインの死により跡職を継承。松前泰広により討たれる。息にカンリリカ。娘婿に和人・越後庄大夫。
- ▽越後庄太夫 (*~1669)鷹匠。シャクシャインの娘婿。シャクシャインを補佐。<混血化が進む中、DNA検査で和かアイヌかを検証することが果たしてあてになるのでしょうか。>
- ▽最上助之進 (*)助ノ丞。シャクシャインに与力。松前藩により処刑される。
- ▽尾張市左衛門 (*)シャクシャインに与力。松前藩により処刑される。
- ▽庄内作右衛門 (*)シャクシャインに与力。松前藩により処刑される。
- 石狩アイヌ
- ハウカセ (*)石狩アイヌの首領。シャクシャインに与力せずに中立を保つ。松前藩に対して独自の外交姿勢で中立。
- <余市アイヌ>
- ケクシケ (*)余市アイヌの首領。70歳頃、和人の所業を松前に訴えに出るが追い返される。
- 八郎右衛門 (*)余市アイヌの首領。石狩を除き、増毛より北部の宗谷まで従える勢力。<和人名を冠する。和の流れ人か、自ら名を選んだか、もしくは混血か。北前船以前に普通に日本海航路はあったのでしょう。>
- <内浦アイヌ>
- アイコウイン (*)内浦アイヌの首領。松前藩に従う。松前藩は和人の拠点である国縫、亀田、熊石に兵を置く。
- 岩内 某 (*)岩内アイヌの首領。歌棄(寿都)、祝津(小樽)、増毛にて和船8艘を襲撃。
- 18世紀道北の抗争 1758年
- <宗谷アイヌ>
- シリメキシユ (*)1716年頃の枝幸の首領。磯谷則吉の「蝦夷道中記」に登場。
- チョウケン (*)浜頓別の首領。西蝦夷第一の富豪。
- イマウカシテ (*)トピラス。チョウケンの息。1780年頃の留萌の首領。増毛の和人・山田屋文右衛門親子と境界を巡り抗争。
- ▽イタクマシテ (*)チョウケンの息。息にシリメキシユエ。
- 某 (*)ノシャップアイヌの首領。宗谷アイヌを襲撃
- マメキリの蜂起 1789年
- マメキリ (*~1789)道東のアイヌ。1789年軍事蜂起。和人の拠点を襲う。
- ツキノエ (*)国後の首領。不在時にマメキリの蜂起。マメキリを説得。
- イコトイ (*)アッケシ(厚岸)の首領。不在時にマメキリの蜂起。マメキリを説得。
- ションコ (*)ノッカマップの首領。不在時にマメキリの蜂起。マメキリを説得。
- <12世紀末の奥州藤原氏滅亡後出入りする本州人との間で混血化が進む中、DNA検査で和かアイヌかを検証することが果たしてあてになるのでしょうか。>
- <西蝦夷地>
- コタンヒル (*)留萌の首領。西蝦夷地第一の旧家。松浦武四郎の「西蝦夷日誌」に登場する
- ▽シリメキシユエ (*)チョウケンの孫。秦檍丸の「蝦夷島奇観」に登場する。息にテケバセ。
- ヒショラシ (*)コタンヒルの息。
- ▽トヒラクアイノ (*)コタンヒルの息。
- オタトンクル (*)ヒショラシの甥。息にムラシ。
- <北海道人> 北海道のために生きようとした人たちということで・・。
- 高田屋嘉兵衛 (1769~1827)海運商人。1801年蝦夷交易に従事。弟に金兵衛。
- 上原熊次郎 (*)最上徳内の弟子。幕府役人(通訳使)。1811年ロシア役人ゴローニンを松前に幽閉。1824年「蝦夷地名解」を作成。
- 村上島之丞 (1760~1808)秦檍丸。伊勢出身。幕府役人。1798年蝦夷地旅行。「蝦夷島奇観」を作成。アイヌの人々の暮らしぶり、風俗を絵に記し残す。
- 松浦武四郎 (1818~1888)伊勢出身。松浦桂介の息。1844年還俗し蝦夷地に旅行。1855年「東西蝦夷山川地理取調図」作成。
- 平山屏山 (1822~1876)国太郎・助作。東北出身。日高・十勝でアイヌの人々と暮らし、風俗を描く。
- ←クルの各地域分布範囲 1824 上原熊次郎 『蝦夷地名解』より引用改変
- ≪個人的感想≫
- 「熊送り」の習慣から、先祖を簡単にオホーツク文化と結びつけていますが、では、縄文時代からの熊形の土製品や、続縄文時代前半の恵山文化の土器の熊飾りはどうなるのでしょうか? 熊は身体の臭いで熊家族のテリトリーを誇示するといいます。昔の人の知恵で、熊・エゾオオカミの襲撃を受けないように、村の安全のため、御しやすい子熊を飼うことで、他の野生の熊たちを集落に寄せ付けないようにしていたのではないでしょうか。 そして、子熊が成長し手に負えなくなるまえに儀式で丁重に送り、次の村の「守り神(クマ)」を欲したのではないでしょうか。そのようなことが縄文の頃から、起きていてもおかしくはないと思います。
- 北の大地で、縄文人の系譜は連綿と引き継がれているのだと思います。それに、北海道犬は、混血が進まず、「縄文犬(日本犬?)」のDNAを残しているといいます。大陸北方の他所から犬が持ち込まれていない。これは、意義深い事なのでは。
アイヌは大昔は、本当はもっと自由な文化をもっていたのに、18世紀以降、松前藩の規制の強まり(場所を支配管理する権限を得た和人の課した規制かもしれませんが)で、多くの物を捨てざるをえず、世代交代のうちに、自分たちの文化の多くの物事を忘れ去ったのではないでしょうか。 安藤氏が、蠣崎ほかに、内浦と瀬棚に置いた、蝦夷の酋長他一族は混血(和人山師や鷹商と婚姻)により和人化してしまい(自分たちは蝦夷人だとは思っていない)、道央以東の人たちが混血化を免れて、シベリア大陸系のDNAを残したのでは(自分たちを蝦夷人だと認識している)。なので、現在いくらDNAを採取しても、すべて、自分を蝦夷人と認識するサマイクル系譜のものなのでは?
- 12、13世紀にオホーツク人の侵略により蝦夷島の民族がごっそりと入れ替わったという刺激的な説は、ありえないと思います。樺太や千島列島との交流、婚姻により徐々にシベリア系の血が濃厚となったのでは? 12・3世紀の本州の動乱で、東北北部の武士団が編成されていく中で、渡島では独自の文化が花開き、それ以降は、本州から独立の機会を得ていたのだと思います。統一政権を造れる、領土欲に飢えた「王」が出現し、本州の武士団と拮抗できる軍事力を保持すればよかったのでしょうが、
- 蝦夷俘囚長の血を引くという、本州東北の俘囚代表者・安東氏に従ううちに鈍化し、
- 戦国の下剋上で、又代官の蠣崎ととって替わった武田氏(南部氏系?)子孫に経済的に制圧され、そのうえ江戸時代に情報統制されて、自分達の歴史を忘れてきてしまったのでしょうね。
- 意見を抑えつけ言論統制するとか、強者が弱者を抑圧することは、地域の歴史を滅ぼしかねない。 現在も世界のどこかで進行していると思いますが・・・・。
「理想社会を創造せん」と、自分たちの文化を守ろうとすることは戦いにつながり、んー・・。信長様は、「天下統一」後、その先に、何を目指してたんでしょうね。聞いてみたい(といつもの信長様オチで)。
- 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今思うこと
- 2019年3月
- ○オーストラリアのアボリジニ、アメリカのインデオ。そして、保護という名前の下に行われる管理を、根底に流れる〇〇人至上主義を、皆さんは理解していますか。ニュウジーランドの銃撃事件の犯人の声明文を読んでみて下さい。
- 「異人はこちらに入って来るな!」と、あれが保護政策が盛んな国の、実は民族純血主義・分断主義者の本音なのだと思います。
- マスコミの方々も世界の保護法に劣るとかではなく(そもそもヨーロッパ人が大航海時代に侵略した土地での保護法と比較してなんになるのですか)旧石器時代からの歴史を学んでから、日本の事情にあった「文化保護法」の成立を目指すべきなのではないでしょうか?
- 国連の人達の歴史イメージが、大航海時代の欧州人(白人)→現地原住民(有色人)への侵略の歴史、と同じレベルの考えなのでは?
- 私は列島人民族分断の道を進んで、明るい未来があるとは思えません。
- 列島人の両先祖は、他国とは違って繋がっているのです。
- 9000年前から、関東から北海道にかけての縄文土器は同じ系統。一部混血の進んだ弥生人も母親は縄文人の遺伝をもっている
- 歴史時代も
- ○神武東征と戦った畿内の土蜘蛛を従える登美氏、古事記に記された糸魚川の沼川姫(縄文時代の代表)。東の俘囚、蝦夷の民、山の民マタギが伝えた古代語、北の民は古代語を伝えていると理解した松浦武四郎。縄文から先祖が同じなら、戦いに敗れ混血が進んで日本人となった西方の民も、同族では?
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- これから分断の道を進んで、その先にいきつくところは対立しかありません。
- 列島を分断して誰が得をするのか、よく考えて欲しいです
- 今はグローバルの時代もおわって、それぞれの国が独自の道を進もうとしている覇権国家主義の時代です。敵対国の国力を低下させるために、こまごま国内の勢力をつくり分断しようという、敵国勢力が水面下で思想を操っているかもしれません。自分で未来がどのような形になっているのがいいのか、周りの意見に流されずよく考えて下さい。
- ○アフリカを出発して、大陸の東端の島まで渡ってきた私達は、脱アフリカの頃の先祖は同じなんです。
- 先祖が縄文人と繋がっていないと思うかたがた
- それでは、貴方達の先祖は=カラフトや千島からやってきた北方からの侵略者の子孫=なんですか?
- 蝦夷島のもともとの先住民ではないのでしたら、蝦夷ケ千島の土地の領有権はないのではないですか。むしろカラフト千島に領有権を主張して帰還すべきでは? 蝦夷ケ千島は縄文人・続縄文人の子孫のものです。
- 縄文人そして蝦夷(エミシ)をひきつぐ東北の人が正しい子孫かも?
-
- ということで、民族とか人種、誰も得をしない考え方だと思います。自分達の先祖のあゆんだ歴史をもっと良く勉強して、明治からじゃなく、もっと長い歴史で考えて下さい。
- 自分の住む土地の古い歴史をもっと勉強してください。
- 現代人の浅慮により、松浦武四郎の努力が水泡にきさないことを願っています。