三奉行 弾正忠家 織田信定の家臣団

織田良信の家臣団継承者。

織田信定 (*)oda.nobusada・弾正忠・信貞・月厳。斯波義達家臣。織田良信(西厳)の息子。室は林佐渡守・通村の娘。織田信秀の実父、織田信長の祖父。南守護代領の西端、勝幡城主。清洲大和守家、三奉行のひとり。木曽川、街道、津島湊を掌握し弾正忠家の興隆の基礎を築く。1533年京都から山科言継を勝幡に接待。息に信秀、信康、信光、信実、信次、信正。娘婿に桜井松平家定。

<木曽川の港町・津島(津島牛頭神社門前町)と深いつながりがあります。><津島社家の堀田正貞(正定)の「貞(定)」は、織田信定によるものか。>

⇔▽林 通安 (*)hayashi.michiyasu・(稲葉)・八郎左衛門。尾張林家。義兄弟に織田弾正忠家の信定。甥に織田信秀。美濃の稲葉氏は一族。息子に秀貞、通具。

<娘婿に森可成か。新右衛門・通安とは同一人物では?。稲生の合戦に没落する林家に替わり、重臣として森家が台頭するのは、同族の分裂だったからでは?。>

⇔▽塙 義元 (*)hanaba.yoshimoto・大野木・茂元。尾張大野木の豪族。1567年連歌師・里村紹巴を尾張に接待。娘婿に森家の家老・林為忠。

<世代的に塙直政の父か?兄か?><森可成の室は為忠の父・林通安の娘。森=林=塙の一族連合があるのでは。>

⇔▽林 通安 (*)hayashi.michiyasu・新右衛門。室は塙義元の娘。娘婿に森可成(元・長井家家臣、のち織田信長家老)。息に森家家老の林為忠。

<「稲生の合戦」に林通具を討ち森可成が信長重臣に出世するので、「林一族の争い」から可成を勘当とかで、別人としているのでは?><室は塙義元の娘、この人が原田直政の父なら、塙家を通して林=森=原田=柴田のパイプができるのですが・・。原田直政が出頭するのも判る気がするのですが。>

⇔▽河村慶満 (*)kawamura.yoshimitu・九郎大夫。津島神社禰宜家。1522年織田信定が津島神職を安堵。

織田秀敏 (*~1560)oda.hidetoshi・玄蕃允。斯波義統家臣。織田良信(西厳)の息。織田信定の弟、織田信長の後見人(信長の大叔父)。1552年10月家督を継承した信長から尾張中村の三郷を安堵される。1560年岩倉城主。1560年「桶狭間の合戦」で鷲津砦を守備し飯尾定宗とともに討死。

<秀吉の故郷の領主さんでしょうか。><弾正忠家では、長老・織田秀敏さんが信長様を後見して一族が分散しないように、織田信光さんを時々しめていたのでしょうか。><川尻秀隆とも縁があるようですが。>

※尾張国清州城大和守家三奉行。津島織田備後守家二代目。勝幡城織田家創設者。

※織田信長の祖父。織田備後守

2016年10月02日