三奉行 弾正忠家 織田良信の家臣団

≪清洲(織田大和守)三奉行家≫
1513年 遠江出兵で斯波義達の専制政治。
<義達が、遠征に従わない在地の織田家一掃か。
1517年の遠江遠征失敗により、今川氏親の上位支配。親今川派の織田弾正忠家や、岩崎丹羽家が台頭するか?>

<織田大和守家清州三奉行のひとつ・織田弾正忠(家)> 

織田良信 (*)oda.yosinobu・備後守・西厳・材厳。斯波義寛家臣。織田敏信の息子(敏信本人とも)。1482年「清洲宗論」の奉行。
<敏信の息子ならば、(伊勢守)信安、(大和守)達勝、(因幡守)達広とは兄弟ということになる。><織田弾正左衛門・久長と同一人物らしい。親今川派路線の上に活動して、織田本流を抑えて、津島や熱田を抑えるか?>

林 通村 (*)hayashi.michimura・(稲葉)・佐渡守。尾張の林家。美濃の稲葉氏は一族。娘婿に織田弾正忠家の信定。息子に八郎左衛門・通安。
木曽川の水運を担う河野一族ということでしょうか。瀬戸内海の航路から、紀伊半島をめぐって、尾張の津島や熱田に到着した明国商船が、大量に銭を落としていったかもしれませんね。航海の保証人・水先案内人として河野氏の一門が商船に乗り込んで来ていたかもしれませんね。>

※尾張国清州城大和守家三奉行のひとつ。津島織田備後守家一代目。

※織田信長の曾祖父

2016年10月01日