備後守 連枝・一門衆 守山織田家の家臣団2

⇔↑織田信次 (*~1574)守山・津田・孫十郎・右衛門尉。母は織田良頼の娘。織田信秀の弟。1555年守山城主。家臣・洲賀才蔵の失態(秀孝誤殺)から一時出奔するが帰参。信長に重用されている。1574年7月「伊勢長島」に戦死。深田城主。<信長にやたら重用されている割に一向一揆の為に甥・信広とともに討死。><中川重政、津田盛月の祖父とも。世代的には信次が父なのかもしれませんが。もし祖父ならば、間に入る人物は誰なのでしょう。><佐久間信盛の先祖の朝次という人物が気になりますね。大高城城主で山口教継に城を奪取された佐久間甚四郎という人物は、信盛の父・信晴あたりの兄弟とか従兄弟なのでしょうか。>

*織田信時 (*)安房守・秀俊。織田一門。信次出奔後に、佐久間信盛に推され守山城主。譜代家老、角田新五により下克上。<佐久間一族と特別な関係があるようです。信広とも母が同じでは?と言われていますし。織田と佐久間、それにのちの信広の娘婿・丹羽長秀を通して、一族の幅を広げるいろいろな縁組が模索されてそうな気がします。><信次の戦死後の守山家臣団は、柴田与力の丹羽氏勝と、信広を通して縁がつながりそうな丹羽長秀与力にでも振り分けられたのでしょうか。>

<守山譜代家老衆>
角田* (*)新五。守山党。信次、信時の二代の家老。織田信時の両家老。織田信勝の末盛党と対立。のち織田信時に対して謀反。<織田信光の代からの家老ということでしょうか。坂井氏との対立から離反するという。>

高橋* (*)与四郎。守山党。<斯波義達の遠征に従った高橋家か。><三河吉良家臣に赤羽根城主の高橋氏あり。>

喜多野* (*)北野・下野守。守山党。

坂井* (*)七郎左衛門。守山党。<清洲の坂井一族の分流なのか、三河から出奔(信秀の調略や三河一向一揆関係で)してきた酒井一族なのか興味のあるところです。><北伊勢に坂井城あり。一族の姓の発祥地か。>

坂井* (*)喜三衛門。守山党。角田とともに織田信時の両家老。<坂井一族の分流か。>

坂井* (*)孫平次。守山党。織田信時の側近となる。<織田信光を暗殺した坂井孫八郎の系統でしょうか。>

<外様国人衆>親今川派、1551年から度々、織田信長に反抗。

⇔丹羽氏勝 (*)(岩崎)・源六。岩崎丹羽家は代々、親今川派。1551年家督継承したばかりの織田信長を撃退。角田謀反の後、守山城を奪取。1565年父の死により家督。息に氏次。<やっぱりこのひとが反信長・武闘派の主戦力なんでしょうねえ。信長様と数々の因縁があるようです・・。>

《個人的感想》 守山城主となる人物には、何か縛りとなる条件があって、信次が、信時に足りない何かそれに見合う条件を満たしていたから城主となっていたのか・・。
 桜井松平信定の影響力が強そうです。品野城や三河岡崎城まで勢力を広げていた様子なので。信時に佐久間氏が介入することや、岩崎丹羽が介入すること。特殊な何かがあるのでは。

織田信秀の弟。信光死後に甥・信長が守山城主に抜擢(跡職は中川重政が継承するか)

2016年10月03日